しがないオタクがラブライブ!と出会ってマイナスがゼロになる話 ④
※このブログはラブライブ!シリーズについて語るブログですが、作品のストーリーではなく個人の人生を軸にこの時この曲が、こんな展開があってという形で時系列が進みます。
オタクの自分語りはいらねーよ!という方はそっ閉じをお勧めします。
早すぎるし、遅すぎた
2015年12月
劇場版の公開から半年。
HEART to HEART!が人生で初めて買ったCDになった。
ミュージックステーションも紅白歌合戦も初めて録画し、家族に無理を言ってリアルタイムでμ'sを見た。
こんなに本気で好きなものができたのは初めてだった。
μ'sに出会ってからの1年間が本当に楽しかった。
最初で最後の1年だった。
世界で一番ありがとう
μ's final LoveLive!~μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪~
劇場越しとはいえ、人生で初めて参加したライブ。
初めてで、最後。
物販のブレードは一瞬で売り切れキングブレードを買った。
同じ劇場にいた一回りほど年上の男性から輪ゴムを貰った。
何でも、ずっと前に放送された「にこりんぱな」ラジオにちなんだものだそうだ。
「ペンライトにコール?って言うんですか?ああいうのちゃんと揃えなきゃいけないのかなって…」
「いや全然気にしなくていいですよ!ただ…初めてならライブを楽しむことだけ考えてた方がいいです」
今思えば、"初めてがこのライブなら尚更"だったのだろう。
そんな含みのあるような言い方だった。
残ったものは
―楽しかった…楽しかった!
劇場の中ですら揺れるような歓声も、色とりどりに輝く会場も、何よりアニメで何度も見た穂乃果達と全く同じダンスとより鮮明な歌声の9人。
こんなに楽しいことが、楽しい世界があるのか!?
でも、もう9人には会えない。
それに気付いたのは涙を流し切り声を枯らし、疲れ果て眠りについた翌朝だった。
身体も心も全てを出し切った朝、高校は春休みだし帰宅部な以上何の予定も無い。
夢か何かだったのだろうか?
昨日のこと、夢中で何かへ向かい続けたようなこの1年間すら?
呆けた頭に響いてくるのは、ライブの記憶以上に何度も聴いた穂乃果達の言葉だった。
「やり遂げたよ、最後まで―」
「最高に楽しかったから!」
「叶え!みんなの夢―。」
残された時間を握りしめて
そこで初めて気付いた。
ラブライブ!に、μ'sに出会ってからの1年間の記憶はかけがえのないもの宝物だ。それは間違いない。
だけど、それだけだ。
穂乃果達が叶えた目標や掴んだ結果に重ねた想い出、ライブでキャストが語る長い道のりも、自分はただ見ているだけだった。
それは趣味として当然のことだろう。この頃には学校にも毎日通えていたし、退屈な学生生活を華やかにするものならそれは十分に価値があって―
違う。
自分は、俺は何をやっているんだ?
何が退屈な学生生活だ。
それは俺が何もしてこなかったからだ。
画面の向こうのストーリー"だけ"を見て、それだけで自分も何か少しマシな何かになれたんじゃないかって、思い込んでいた。
違う。
周りを見ろ、今自分がいるこの世界を見ろ。
あるのはただ、人と関わったり何かへ踏み出して傷付くのが怖くて誰とも関わらず学校と家を行き来するだけの空気みたいな人間だ。
ただの楽しみとして触れているだけならそれでいい、適当に趣味持って生きて何となく就職できればいいじゃないか。何も不自由はないし悪い事はしていない。
嫌だ。
今の俺には何も無い。
何も手を伸ばさなかったから、何も残ってない。
何かになりたい。
「私ね、μ'sのライブを見ると胸がカーッと熱くなるの!」
あのライブは二度と味わえなくても、あの時感じたような"熱"を、もっと感じていたい。
もう、今のままの俺は嫌だ。
例えそれでまたあの時のような思いをしても、今のままよりずっとマシだ。
マシになりたい。
友達に、同級生にずっと先を行かれて取り残されたマイナスの今からせめて普通に、ゼロぐらいにはなれ。
この世界に、ちゃんと向き合いたい。
高校3年生に上がる春休み、4月から始まるちょっとした課外活動のメンバーに申し込んだ。
しがないオタクがラブライブ!と出会ってマイナスがゼロになる話 ③
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あれから4ヶ月
2015年6月
生まれてこの方映画館へ行くことは数える程しか無かった。
観たい作品は幾つもあったが、最寄りの劇場まで電車で2時間を越えるような環境でバイトも出来ない高校生の行動範囲は微々たるものだった。
それでも、今回だけは妥協できなかった。
「ラブライブ!The School Idol Movie」。
公開前PVから推しがセンターで踊るライブシーンに期待を膨らませていたことをよく覚えている。
田舎のコンビニにすら置かれていた凛ちゃんラーメンを意気揚々と買い込み口にしたあの瞬間も、まあよく…覚えている……
すっかりラブライブ!が身近なものになった矢先だった。
「大会が終わったら、μ'sはおしまいにします!」
TVアニメ全26話を観終えた時に薄々予感はあった。
だが、キャストによるリアルでの展開についてほとんど知識のなかった当時の自分は、それを本当の意味で理解できていなかった。
それ故なのか、はたまた終わりへ向かう物語を受け入れられていなかったのか、そこは定かではない。
ただ、その時に強く惹かれたのは劇場版前半、ニューヨークで展開されるストーリーだった。
それは涙よりも
先述の通り、当時の自分にとっては映画館すら身近なものではない。
映画館があるような規模の街、数分おきに通るバスに電車、見慣れない数の人—そんな(程度でも)知らない世界で、未知の世界に出会い楽しむμ'sを観ていた。
もともと地理、社会科全般が好きな性分ではあった。
だがこの日から、明確に感じるようになった。
自分の見ている世界は、きっとあまりにも小さい。
少し遠くへ来ただけで、地下を電車が走りビルがひしめき人は地元の人口の何倍いるだろう?
もっと遠くへ行けば泊まるホテルも分からないほど違う言葉に結んだ靴を放り投げる文化に見ず知らずの外国人へ「コンニチワァ!」と声をかけるほどフランクな人がいる。
きっと何も知らないんだ。
この小さい街の外には、あんなに知らないものが溢れている。
そしてラブライブ!に出会ってから知らないものにどんどん出会っている。
これからは何が待ってるんだろうか、スクフェスのストーリーで何かアニメでもあるのか?
今度の一番くじは近くのコンビニに売ってるかな?
そんな未知への期待と熱は、薄々感じる終わりの予感よりもずっと強く心に残っていた。
今までただ繰り返すだけの毎日から、明らかに何かが変わり出していた。
しがないオタクがラブライブ!と出会ってマイナスがゼロになる話 ②
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初めて重なったもの
2015年2月
START:DASH!!を観たあの日から1ヶ月ほど経った。
「まきりんぱな」、「にこ襲来」…新たに増えていくメンバーとそのストーリーを楽しんでいた。
ただ、楽しんでいた。
第8話「やりたいことは」
7年経った今でも、TVアニメラブライブ!全26話で一番鮮明な記憶がある。
「何よ…なんとかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!
私だって好きなことだけやって、それだけでなんとかなるならそうしたいわよ!
自分が不器用なのは分かってる。でも…
今更アイドルを始めようなんて、私が言えると思う?」
正しさとか、整合性なんてきっとない。
本当に廃校阻止を目指すなら、穂乃果たちがライブを行う方がまだ前向きな効果があることは雪穂や亜里沙たちの反応を見れば明らかだろう。
少なくとも、ただ学校の歴史を語られるよりは。
なのに、今まで聴いたどの言葉よりもその理屈の欠片もない叫びが耳に、頭に、心に残った。
いや、響いた。
この感覚は?
幼稚園の頃、よくちょっかいをかけられる子どもだった。
親はこんなの「いじめ」だと言っていた。
それ自体はすぐに無くなり、小学生になる頃には何の変哲もない生活を送っていた。
それでも、記憶は無くならない。
今聴けば何も感じないような言葉が、瞬間が、一生消えない傷であり足枷になる。
―まあ、よくある話なのだが16歳になるまでにも割かしただ生きることに苦労した。
なんとかしなくちゃいけなかった。
しょうがなかった。
立場と境遇は言わずもがな言葉の意味も何一つ違うのだが、ただその言葉の響きに「共感」した。
見方によれば一人で傷つき、勝手に追い詰められているだけかもしれない。
実際穂乃果たちと目的そのものは一致しており、隣には立場を気にせず話せる希がいる。
それでもそんな言葉を吐き出すほどに背負い込むその不器用さにも、これは本来の自分の性分として理解できるものがあった。
そんな人間が逆境を乗り越え、躓いて起き上がって、笑顔で歌い踊る姿に、「この先を知りたい」と強く思った。
TVアニメのストーリーとしてではない。
いやそうなのだが、何なら再放送だし既に脚本のあるストーリーなのだが。
それでも、どうか彼女の、彼女たちの物語が良い方向へ向かうようにと、応援したくなった。
ラブライブ!で初めての、μ'sの、推しができた。
しがないオタクがラブライブ!と出会ってマイナスがゼロになる話 ①
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ラブライブ!との出会い
2014年12月
高校1年生の冬休みだった。
「○○もこれやらん?」
一つ下の後輩から見せられたスマートフォンの画面、それが全ての始まりだった。
2015年1月
―衝撃だった。
ただかわいいキャラクターと歌さえ楽しめればいいと思っていた自分にとって、あの日初めて感じたものは多分一生忘れないと思う。
「私、もっと踊りたい、歌いたいって思ってます…
こんな気持ち、初めてなんです!やってよかったって、
本気で思えたんです!」
何でそんな風に思えるんだ?
たかがアニメの一台詞なのに、同じような言葉なんて散々どこかで耳にしたはずなのに、妙にそれが気になった。
その答えが分かるのは、ずっと遠い先の話である。
―詳細は省くが、自分は生まれてこの方"何もしてこなかった"。
幼稚園、小学生、習い事はしたが続くことはなかった。
中学生、卓球部は上達していく周囲と自分のギャップに耐えられず辞めた。
まあ色々あって学校にはあまり通わなかった。通えなかった。
幼少期のあれこれを思うと人と関わりたくなかった。
もう何かをして不用意に傷つきたくなかった。
高校生は帰宅部、課外活動もない。
何もしたくなかった、ただ地元で何となく就職して何となく生きていたかった。
そんな時に出会った、何かに全力になって、上手くいかなくて、それでも前を向く姿に経験したことのない感覚に陥った。
―今思えば、これがラブライブ!に出会って最初の"後悔"だった。